レコード針を使い始めて10年になるので、そろそろ気になり始めました。DENON DL102 というモノラルです。特に問題が生じていた事でもないのですが専門店ややメーカーの推奨だと200~300時間が交換時期といいますが真に受けてはいません。 針先は摩耗したり欠損があるとレコードを傷めるおそれがあります、と書かれています。顕微鏡で拡大した写真で 摩耗した状態を見せているサイトもあります。そしてレコードへのダメージがあると・・・。10年間、ほぼ毎日と言っていいほどレコードを聴いています。日に2時間程度は。針が摩耗していなくても 気になるのはダンパーにゴムは使われている事で経年劣化でダンピング性能は落ちるでしょうから少なからず音に影響はでるのでは、とぐらいは思います。針先の摩耗は、ダイヤモントとビニール系のレコード盤ですから摩耗は無視、チリ埃を噛んでもダイヤモンドが硬いでしょう。
レコード針交換
レコード盤を圧着させる方法
レコード盤はターンテーブルに圧着、ターンテーブルとの間に隙間が出来ない方が適切だと思います。バキュームで吸着させたり、外周スタピライザーで押さえたり(波を打った盤用)するまでもまく簡単にできる方法を考えました。
もっと早く気づけばよかった・・・
レコードスタピライザーについて
Mさんへ、
これまでメーカーのスタピライザーに何の疑問もなく使っていましたがネットで海外のメーカーから出された記事を読んでふと考えてみて理に叶っていると思いました。レコード盤は常に不必要な振動に晒されていて音に悪影響があるという話です。それ対策のインシュレーターが2~3万円もするので いろいろ試してみました。これまでは真鍮の重しを乗せるだけでした。耐震性の高いゴムをインシュレーターの下に敷くという方法です。これだと少なくとも多少なりともレコード版に起きている振動を吸収するだろうと・・・理屈は同じです。費用は数百円、これは試してみる価値はありそうで・・・やってみました。結果は予想通りの結果でした。 もっと早く気付いていたら・・・。
反ったレコードは外周スタピライザーで押さえます。レコードマットは これまで様々な素材が商品として出されてきてひとそれぞれで好みの問題でもありますので好き好きです、私は6kg真鍮の板です。35年これす。たまにはコムに変えてみたりもしましたが。私のプレイヤーはアイドラ式ですので、DDやベルトドライブ、糸ドライブに比べるとどうしてもモーターのゴロ音は最大の問題ですが、 それが不思議とノイズに出ません。DENON DL-102 ですがモノラルカートリッジはノイズを拾いにくいとも聞いたことがあります。ゴロ音対策はやっております。5mmのやや硬んお耐震度ゴムシートを細く切って銅板の下に。これは可成り効果がありました。
一つの部屋に複数のスピーカーを置いた場合共振して音を濁します。
marila jonas レコード入手しました
マリラジョナスのレコードは4~5枚しか残されていません。録音は1949年あたりで・・・日本のレコード会社ですとこれだけの枚数では商業ペースにのせられないので手掛けなかったのでしょう。 ネット配信の時代になって聴くことが出来るようになったといえるでしょう。アメリカでは当時レコードで販売していたようです。
私もアメリカ時代にこのピアニストについて知っていたなら、この人の演奏を聴いていたならレコードを買っていたに違いありません。残念です。Mさん、是非探してください。
レコードに詳しい友人が言うには・・・・「 古川さんのレコードコレクションを見ると日本のレコード会社のご都合主義が見えます。音楽レコード関係の情報誌に書かれている記事の大抵は音楽評論家という人達がレコード会社から金を貰って書いた提灯記事です。欧米には優れた演奏家は星の数ほどいます(いました)がレコード会社がその演奏家のレコードを売り出すには最低採算ベースに乗らないと扱いません。 古川さんのコレクションはそういうレコードのみです。私はヨーロッパ、東欧やロシアで生の演奏、レコードをたくさん聴いてきました。最近ネット社会になって日本でも馴染みになって来ましたが、多くの知られていない馴染みのない演奏家がたくさんいます。」そう言われると、私はアメリカやヨーロッパでレコードを探すとき20世紀の遺産、不滅の名盤・・・などという音楽雑誌を持参、参考にしながらレコード探しをしていました。 マリラ・ジョナスのレコードも見ていたかも知れません。プリンストンやニューヨークの中古レコード店にはきっと在ったに違いありません。 これを思うとアメリカって懐が広いですね・・・美術でもそうですが・・・病弱でいつ死ぬか分からない無名のピアニストのレコードもちゃんと録音しプレスして出してくれている・・・・、
「詩人にして、ピアノを自在に操る名手。現代の名ピアニストの中でも、彼女と肩を並べられる者はほんのわずかだ」(オリン・ダウンズ/ニューヨーク・タイムズ紙)、「ソロ・ピアニストとして第一級の存在」(ヴァージル・トムソン/ニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙)と絶賛されたポーランドの知られざる名女流ピアニスト、マリラ・ジョナス[1911-1959]が1946年から1951年にかけて米コロンビアに残した貴重な全録音を集大成したボックス・セットです。ジョナスはナチスの追及を逃れてブラジルに亡命し、その後アメリカで成功を収めますが、48歳という若さで亡くなりました。残された録音もわずかしかなく、オリジナル・マスターからの復刻は今回が世界初です。
マリラ・ジョナスは、1911年5月、ワルシャワに生まれました。天才的才能を持ったピアニストとして、ジョナスは9歳の時ワルシャワでデビューし、パデレフスキの生徒となりました。彼女は1922年に国際ショパン賞を、翌年にはウィーンのベートーヴェン賞を受賞し、1926年からは全ヨーロッパでリサイタルを開くようになりました。しかし1939年、ナチス・ドイツのポーランド侵攻によって、演奏活動の中断を余儀なくされ、彼女は強制収容所に収監。数週間後、彼女は自分の演奏を聴いたことがあるドイツ人高官の手助けを得て脱走、徒歩で数か月かけてベルリンのブラジル大使館まで325マイルを逃亡。これは後に「奇跡」と伝えられています。そこから、ジョナスはリスボン経由でリオデジャネイロへ亡命しました。肉体的・精神的に疲弊したジョナスは演奏活動をやめ、何カ月もサナトリウムで過ごします。夫、両親、兄弟がナチスに殺されたこともその状況に拍車をかけました。しかし同郷のアルトゥール・ルービンシュタインがジョナスにピアノ演奏への復帰を促したと言われ、1946年2月25日、ニューヨーク、カーネギー・ホールでアメリカ・デビューして成功を収め、ピアニストとして復活したのです。その見事な演奏は、特にニューヨーク・タイムズ紙のオリン・ダウンズや、作曲家でニューヨーク・ヘラルド・トリビューン紙のヴァージル・トムソンといった名うての評論家たちを夢中にさせたのでした。
その約5年後、ジョナスはシューマン『謝肉祭』を演奏中に体調を崩し、舞台袖に戻ったところで倒れました。すぐに回復し、ステージに戻ったジョナスは予定された演目を弾き終えましたが、再び演奏活動から離れ、結局1956年12月のカーネギー・ホールでのリサイタルが、最後の演奏となりました。1959年7月3日、ジョナスは極めて稀な血液の病気で48歳の生涯を閉じました。
コロンビアへの録音は1946年から1951年のわずか5年間に行なわれ、これらがジョナスが残した全録音です。生前特に絶賛されたショパン作品からは、27曲のマズルカを中心に、夜想曲、ワルツ、ポロネーズ、練習曲、舟歌などが含まれており、ジョナスの表現力豊かな演奏の特徴がはっきり出ています。比較的大きな曲はシューマンの『子供の情景』のみですが、これは曲ごとの雰囲気の対比をはっきりと付け、文字通りラドゥ・ルプーやホロヴィッツに匹敵する魅力を持った演奏といえるでしょう。SP後期からモノラルLP初期の録音であったため、これまでCBS~ソニー・クラシカルからは復刻盤が出たことがなく、今回の正規マスター(アナログ・マスターおよびディスク原盤)からの24bit/192kHzリマスターによる丁寧な復刻は、全ピアノ・ファン待望のCD化といえるでしょう。
各ディスクは当時のLPのデザインによる紙ジャケットに封入され、詳細な録音データを完備したオールカラーの別冊解説書とともに、クラムシェル・ボックスに収容されています。(輸入元情報)